7 の 70 倍の許し

 7 は完全数だから、という解説をよく聞くが、もう少し詳しく味わってみたい。

 7 という数字は、3 + 4 で作られている。3 は三位一体の神様、そして、東西南北、陸海空地、春夏秋7冬など 4 は被造物を表す。3 + 4 とは、3 で表されている神様が 4 で表されている被造物に働きかけていることを表している。現に創世記で、神様は 7 日間で世界を創造し、完成された。だから一週間には 7 日ある。私たちが暮らす世界は、まさしく神様がお造りになった世界なのだ。黙示録では、7 という数字が何度も出てくるが、どれも神様から被造物に現れる啓示である。

 これが 3 × 4 となると 12 となり、一年の 12 の月、時計の一周 12 時間のように、神が定められた秩序全体を表す。とりわけ、時が満ちることを表しているだろう。

 さて、10 という数字は、十分(じゅうぶん)の十、十全の十、十進法での完全を表す。桁が変わるので、どんどん増えていく数である。

そのとき、御許にペトロがやって来て言った、主よ、何回、私に対して私の兄弟が誤りを犯し、その者を私が許すのでしょう、七回までですか。

彼にイエス様は言われる、七回までとはあなたに言いません、七十回の七まで。

マタイ 18:21-22 直訳調

 7 の 70 倍を、上の訳では「七十回の七」と直訳的に訳したが、まさに数字自体に意味を持たせているから、このような答え方になる。人を許すとは、神様が私たちを御赦しになっていることの派生である。だから、神 + 被造物の 7 なのだ。ここで語られているのは、単なる戒律ではない。ここでは福音が述べられているのである。つまり、赦しとは、主いえす基督によってすべての人に与えられた啓示・愛であり、そして、それがあまねく伝播する、許し合い、愛し合う者となる、という約束なのである。一つの解釈として、七十回というのが福音、七は一週、つまり私たちの生活を表しているとも言える。

 現に、主いえす基督の十字架とは、罪人である私たちが神を死刑に処した、ということである。自分たちの身ではなく、神を死刑にしたのだ。弟子たちは誰も助けられなかった。しかし、その御赦しは復活によって現れた。とりかえしのつかない罪の結果であったはずの死を打ち破り、命と赦しの奇跡をもって御復活なさったのである。

 どこまでいっても、そして聖書の中心は、十字架と復活である。その命、赦し、愛のメッセージが私たちに与えられているのである。

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